附中訪問

(後日談に彰男君と理郎ちゃんの情報を追加しました。2011.04.05)

2009年5月23日
学年同窓会の日、チャメさんと附中を訪問しました。
実家が近くのこともあって正門の前を通ることはありましたけど、
校門をくぐったのは高校時代に2度ほどあったくらいで、それ以来の久しぶりの訪問でした。



チャメさん 左側が校舎

2009年10月16日

熊高の学年同窓会の折に、今度は美惠さんをカテテ訪問しました。
今回の訪問にはある目的がありました。
福富副校長先生にお会いするためでした。
前回の訪問のとき、ちょうど運動会の予行演習をやっていたので、それを眺めていたら、
「卒業生の方ですか」と声をかけていただいたのが福富先生でした

校舎の中を案内していただきました。
副校長室では、所狭しと展示されているいろいろな収集物を見せていただき、
そのユニークさに惹かれ、もう一度お会いしたくて再度の訪問となった次第です


福富先生と美惠さんチャメさん テーブルの上のものが収集物の一部



これからも折があったらお邪魔にならない程度に伺おうと思います。
これをご覧になっているどんがめさん、貴方も如何ですか。

ところで、うら若き女性の後ろの木、皆さん覚えていますか。
福富先生にほうの木と伺いました。


これがほうの木
美惠さんに言わせると
卒業アルバムにある


この写真の後ろの木じゃないかということですが
何方か確かめていただけませんか。

後日談

次の情報が理郎ちゃんから送られてきました。
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 1:
  「これがほうの木
   美惠さんに言わせると
   卒業アルバムにある」

 2:
  「この写真の後ろの木じゃないかということですが
   何方か確かめていただけませんか。」
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以上の2点について本日(2010.5.15)寛さんと附中へ行き確認してきました。

  1:これは「ほうの木」ではなくて「フウ」です。

        添付の写真 huu4.jpg huu5.jpg でわかります。
 
(いきなりのチェック恐れ入ります。福富副校長からもそう聞いていました。)

美惠さんのいうとおり卒業アルバムにありました。

  2:確認方法は添付の写真 huu1.jpg に赤い丸印を付けました。


    実は寛さんがこれを見つけると解ると言いました。

    探したところ、その切り口を木が自分で覆って成長していました。

    添付の写真 huu2.jpg 赤く○で囲んだ場所が少し膨らんで見えます。


    貼付の写真 huu3.jpg が huu1,jpg とほぼ同じ角度と思われるところから撮影したものです。

  

おまけ

     「フウ」の大きさが解ると思います。 
 


孝光からのお礼とお願い

理郎ちゃん、寛さん ご足労かけたようでスンマセン。
この歳になると、思い出の謎解きというか、そんなことが楽しくなります。
「ほうの木」と書いて何か違うなと思っていました。
 確かに、福富先生から、「フウ」と聞いていました。
寛さんの目の付け所敬服します。それを又良く見つけたものだと感心します。
せっかく調べていただいて、こんなことを言うのは、まことに申し訳ないけど。
あの木の前に塀があった事を何とか確認したいです。


理郎ちゃんからの返事
 
「あの木の前に塀があった事・謎解き」の件。これ どうすれば解決できるでしょうか。
1:考古学の手法 これは出来そうもないですね。
2:塀を解体した時の関係者へに聞くことでしょうか。 これもなかなか・・・。
3:学校内に解体当時の写真があるのかどうか聞くなどの方法でしょうか。
フウの木に関することとはいえ、「フー」。
何かよい方法をご教示下さい。


美惠さんからのサジェッション

理郎さん、寛さん
 ご足労をおかけしています。美惠です。
  結果については、私としては「やっぱり」だったり、「ほらね!!」だったり・・。満足しています。
 塀については、30年代に在職されていた先生、例えば身近では榊田先生とか伍長さんとか、
ずっと後まで附中に居られた吉田先生などが、ご存知ではないでしょうか? 
 中学時代には、あの塀の向こうは教育学部の女子寮と聞いていたような気がします。
つまり旧女子師範の寮だったところのようです。
いずれにしても、熊大があの京町エリアの整備に着手した時期がカギだと思います。
その時期は、附中の沿革みたいなものに記録されているような気がします。
 
 以上、ご参考になりますかどうか・・・。よろしくお願いいたします。


理郎ちゃんからの返事

美恵様 こんにちは 理郎です。
流石!の一言です。
榊田先生にお聞きする道がありましたね。
次に会えるとすると、米寿を皆さんでお祝いする機会があるといいですね。
ありがとうございました。


寛さんからのアイデア

今晩は。
有力な案が出ているようですのでその線で良いんではないでしょうか。
ところで、あの高い板塀は私の記憶にはあります、また塀の向こうが師範の寮だと言う話も聞きおぼえがあります。
有形の証拠と言うことであれば、府中所蔵の写真、アルバム、工事図面など手掛かりは沢山あると思います。


孝光の言い訳

 皆さん お騒がせしています。
 塀の一言、言わなければ良かった。
 「へ〜 そーだったの」と落とそうと思っていたのですが・・・
 でも、色々アイデアが出て、どれを、誰が一番早く実現するか、楽しみ。


チャメさんからのメール

メール本当にいつも有難うございます。
生き生きと熱く生きているドンガメ達嬉しいです。
それぞれの個性は中学生だった頃と余り変わっておらんもんね。
私はあの木の下の水道場で足のかかとをカラスで切って4針も縫って1晩中眠れなかったけん
フウの木はそのそばにあったようにも思いますが
特徴ある実に関心がなかったのが不思議です。


寛さんからのコメント再び

こんばんは。
フウノキ後日談楽しく拝見しました。
おかげさんで、その後フウノキが、熊大、立田山、森林総研などそこここに、極めて身近にあることに気付きました。
付中のは、その大きさでは県の保存指定木相当と(勝手に)思っています。


彰男君からの情報

メール通信、楽しく拝見させていただいています。
理郎ちゃんからの配信で貴兄の東京どんがめ「花見の歴史」も見ました。
そちら(東京)でも皆、時々集まっておられるのですね。
今年は東北、関東地区は大変でしたね。
特に、原野さんの家族には心痛しています。
また、工藤君も福岡、東京と忙しくされており心身共にお疲れでしょうね。心配しています。 
ところで、貴兄のどんがめ通信の「付中訪問記」で疑問視していました点で気づいたことがありますのでお知らせします。
ふうの木(小生はあの木がふうの木ということは知りませんでした)の前方にはご指摘のように塀があり、その奥には熊大女子寮がありました。
その塀の手前は砂場と鉄棒があったと思います。
我々が写っていた写真は丁度、その塀の角の所です。
その塀は、昭和56年(1981年)に熊大女子寮が解体された時、とり壊されたものと思われます。
(「へ〜 そーだったの」 これが言いたかった。やっと言えた 孝光)
昭和55年に熊大の寮が小碩橋のところに建てられ、その後、解体されました。我々が38才くらいの時でしょう。
貴兄の家は付中の近く、営林局の側でしたからいろいろ思い出も多いでしょう。
訪問した付中も、以前と少しは変わっていたでしょうがやはり、昔の思い出が残っていたでしょうね。
小生も、昭和43年から教育学部に勤務しており、学生の教育実習の時に付中に行った最初の時は感慨深いものがありました。
今度、来熊の時には思い出の箇所を案内しますので、どうぞ遠慮なくご一報ください。
では、また。



彰男の情報を見た理郎チャンから

このページにフウの木が・・
これだと位置関係が良くわかります。

榊田先生、吉田先生、福富先生以外の方についてはプライバシーの観点から名前または愛称としました。